光本氏を輩出した青山学院大学とは?歴史について

「青山学院大学ってどんな大学?」
「青山学院大学の歴史が知りたい」
「青山学院大学卒業生の光本勇介さんについて知りたい」

青山学院大学は東京の渋谷区渋谷に本部がある私立大学で、青学や青学大といった略称で広く知られています。
設立は1949年で、ルーツは1874年に佐倉藩の農学者津田仙が斡旋した、アメリカの伝道師ドーラ・E・スクーンメーカー設立の女子小学校などにあります。
他にも同じくアメリカ人宣教師ジュリアス・ソーパーが設立した耕教学舎、ロバート・サミュエル・マクレイが設立した大学を源流としています。

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青山学院大学の始まり

青山学院大学の始まりは1881年に津田仙と和田正幾、菊池卓平と元良勇次郎らの尽力により、耕教学舎と美會神学校が合併して東京英学校となったことが大きいです。
また1883年にアメリカ人宣教師のジョン・F・ガウチャーの寄付によって移転、京英和学校と改称しました。
その後は1894年に院長の本多庸一によって青山學院と改称、後に神学部と普通部が設置されています。
1904年に神学部と高等科、青山女学院英文専門科が旧制専門学校の認可を受けました。
1944年に青山学院工業専門学校が開設、1947年に青山学院専門学校横須賀分校が開設、そして1949年に新制大学として青山学院大学が開校しています。
文学部と商学部、工学部の設置が行われ、現在は11学部12研究科で構成されている総合大学です。
特色としては、学院院長や理事長と大学長を除く設置学校の長は、キリスト教徒であることが義務づけられていることです。
現在でもキリスト教を教育のベースとしており、キリスト教概論を講義に組み込んでいます。
建学理念の理解も必修科目に位置づけられているので、生徒には建学のバックボーンを知ることが求められます。

青山学院大学のモットー

ちなみにスクールモットーはマタイによる福音書の地の塩、世の光です。
校名は前身が築地から移転した際に、当時周辺のエリアが青山と呼ばれていたことに由来します。
ルーツとなっている学校はいずれも外国人の宣教師などで構成されていて、それぞれの学校の移転や校名の変更などを繰り返しながら、現在の形になっていきました。
余談ですが、3人の創立者は後にアメリカに帰国しており、カリフォルニア州のロサンゼルス市で布教活動が続けられたそうです。
青山学院大学はアメリカのメソジスト監督教会から派遣された、宣教師達の手でつくられたリスト教主義学校のミッションスクールです。
その為、欧米型カレッジのリベラル・アーツ教育の流れを汲みます。
第二次大戦前から伝統として、教養教育重視の方針がとられていたことからも分かります。
今では青山スタンダードという、全学部必修の教養科目制度に流れが受け継がれています。
一方では英語教育にも力が入れられていて、英語の青山と呼ばれることもあるほどです。

青山学院大学の歴史

創立こそ1874年となっていますが、大学と認められたのは戦後のことです。
私立学校令のみ適用の各種学校以外の学校での宗教教育が禁じられていたのが、認定が遅れた理由です。
しかし青山学院大学はキリスト教教育を継続、1904年に専門学校令で旧制専門学校への昇格が認められ、1910年にエディンバラ宣教会議を切っ掛けに大学認定の道がひらきました。
当初はもっと大学の設置が早く、認定が行われる可能性がありましたが、不運にも関東大震災などの影響で遅れたわけです。
青山学院大学の歴史を振り返ると、1872年にアメリカのメソジスト監督教会が日本伝道開始を決議したところから始まっています。
翌年の1873年にロバート・S・マクレイらが来日して日本宣教部を設立、1874年に麻布に設立された女子小学校が最初の学校です。
つまり元々は小学校が始まりで、しかも女子小学校が記念すべき学校となりました。
1875年に女子小学校は救世学校に改称され、本格的にキリスト教系としての存在感をあらわすようになります。

英語教育が本格化し始めたのは1891年

救世学校は1877年に築地に移転して海岸女学校に改称、1878年に耕教学舎が設立、1879年には横浜に美會神学校が設立されました。
耕教学舎は1881年に東京英学校へと改称、1882年に美會神学校が東京英学校に合同されています。
1883年に東京英学校は赤坂区青山南町に移転、東京英和学校となりました。
1888年に海岸女学校から上級生が青山に移動して、東京英和女学校と改称されています。
英語教育が本格化し始めたのは1891年のことで、英語師範科の開設が大きな切っ掛けです。
1894年に東京英和学校が現在の名称の元になる青山学院に改称、青山キャンパスに神学部を始めとした学部が設置されました。
同時に海岸女学校は閉鎖、東京英和女学校に合同となります。
東京英和女学校は1895年に青山女学院へと改称、手芸部や幼稚園などが設置されています。
幼稚園は1899年に閉鎖しましたが、青山女学院手芸部は独立して青山女子手芸学校となりました。

まとめ

1900年代に入ってからも改称は繰り返しましたが、青山学院高等科・神学部、青山女学院英文専門科の専門学校許可と着実に現在の形に近づいています。
近年は横浜英和小学校を青山学院横浜英和小学校と改称して大学系属校に、大学院法務研究科の廃止といった動きが見られます。

最終更新日 2025年7月7日 by global